サイバー老人ホーム

339.「グリスビーのブルース」

  「グリスビーのブルース」という曲を覚えている方はお出ででしょうか。曲名はご存じなくとも、「現金に手を出すな」という題名の映画はご存知かもしれない。この場合の現金というのは、「現ナマ」と読むのであるが、この映画の主題曲である。

 この映画が日本で上映されたのは、昭和二十九年頃で、私が高校二年の頃である。なぜこんな古い映画のことを覚えているかというと、是には深いわけがある。

 そもそも、この「グリスビー(Grisbi)」とは、当時、辞書を牽いてもわからないので固有名詞かと思っていたが、最近になってフランス語の俗語であって、「(せしめた)カネ、獲物、お宝」というニュアンスをもつ言葉で、あまり褒められたものではない事を知った。

 これを敢えて、「現金」という当て字に「現ナマ」という読みを付けたことが評価されて、公開当初からテーマ曲も含めてヒットした映画という事である。映画の中で、「現ナマ」が現れるシーンには、ハーモニカの物悲しいメロディが鳴り響いた。

 内容は、主演のジャン・ギャバン演ずる老境を迎えたギャングが、かつてオルリー空港で強奪した九十キロもの金塊を最後にこの世界から足を洗う事にしていた。

 この映画を見た昭和二十九年というのは、誰かが「もう戦後ではない」といった時より少し前で、まだ戦後が各地に色濃く残っていた。とりわけ、昭和二十五年に勃発した朝鮮動乱によって、戦後の貧困生活に僅かばかりの潤いを持たせていた動乱特需が停戦により無くなった年である。

 その年の翌年、私は実社会に旅立つことにしていたが、わずかな希望の光でもあった朝鮮特需の打ち切りは、暗澹たる気持ちで迎えた年であった。

 何年か前に教師になったばかりの兄が最初の赴任地から私の高校の近くに転任してきた。

 私の家から高校までは片道列車だけで一時間余りもかかり、加えて最寄り駅までは歩いて三十分もかかった。ただ、私にとって進路を決める最も大切な時期を迎えていたので、それを慮って、私を兄の下宿先に同居するように誘ってくれたことは間違いない。兄の下宿先は、信州上田市の近くの百姓家の一部屋であったが、主は老婆一人の賄い付きであった。

 通学時間が短くなったのに加えて、家の百姓仕事を手伝う必要が無くなったことが大きく、その分勉強ははかどったかといえばそれほどでもなかった。ただ、兄は、私が来る日も、来る日も机にかじりついているのを心配したのだろう。ある日、兄は私を映画に誘ってくれたのである。

 私の高校のあった町にも映画館はあったが、この時の映画館は上田市内にあり、あの当時としては珍しい封切館であった。

 私は前から映画が大好きで、折があればよく出かけたが、それは後になってからの事で、貧しかったこともあり、高校時代にはほとんど見た事がない。一度だけ、同じ村の同級生に誘われて、学校の帰りに村の映画館に行ったことがある。この映画館は、昔の劇場であり、中は椅子席ではなく畳敷きであった。

 この時見たのがバートランカスター主演の「地上(ここ)より永久(とわ)に」とういう映画で、この映画も今でも心に残る映画であった。この時の入場料は、友人が出してくれたが、これが立て替えであったか、驕りであったか覚えていない。ただ、映画が終わった後で、親に無断で映画を見た事に対してひどく後悔したことを覚えている。もっとも、私の家が貧しかったことは事実であったが、当時は多かれ少なかれ、どこの家も貧しかった。
 そんな中での映画見物であり、どちらかと云えば未成年者には不向きな映画であり、少なからず心を痛めながらの鑑賞であった。この時の主演者、ジャン・ギャバンも初めてお目に懸り、アメリカ映画のような殺伐としたものでは無かったが、下宿の周りには茅葺民家が散在する田舎の風景とはあまりにかけ離れていて、すべてに驚きであった。

 当時のパリは日本と同じ第二次世界大戦のあとであったが、この二年後に東京に旅立ったが、そのいずれに比較しても大きな差があった。

 ジャン・ギャバン演ずるマックスが手に入れた瀟洒なマンションには日本ではお目にもかかれないエレベーターが設置されていて、すべての施設は目を見張るようなものばかりであった。

 とりわけ、マックスが仲間のリトンを呼び寄せて、冷蔵庫からワインとラスク(乾パン)の袋を取り出しリトンに勧めるシーンがあるが、あの平家蟹に様な顔で、ラスクを音を立てながら美味しそうに食べるシーンを見ると、毎日の食事にも事欠く生活と比較して羨望の眼差しで見つめたものである。

 映画は、その後、リトンが愛人に対して口を滑らせたことが発端となって、新興ギャングと、「現ナマ」めぐって争いとなり、誘拐されたリトンと交換するために「現ナマ」と引き換えることになり、激しく争うことになる。

 この時の新興ギャングのボスは、ジャン・ギャバン同様のいかつい顔にいかつい体をしているリノ・バンチュラで、当時はリノ・ポリニとなっている。この俳優も私の好きな俳優だが、もともとはプロレスラーであったらしいが、レスリングにプロがあることなぞ当時知るよしもない。

 また、リトンの恋人役で、後に、フランスの名女優となったジャンヌ・モローが小生意気な踊り子役でデビューした映画で、今ではだれも驚かない水着姿で出演している。当時、洋画の中で、時々キスシーンにお目にかかったが、気恥ずかしく思わず目をそらしてしまうことは社会人になってからも続いた。

 「孤老雑言」の前出の「ライフワーク」の中で述べた半分は私の悪ふざけによる不正乗車が発覚し、自ら命を絶とうとするほど苦しんだ事件はこの下宿生活中に起きた。この事件の解決にあたっても、兄には一方ならない迷惑をかけ、傷心の中を、その年の暮れには再び実家に戻ったのである。まさに「グリスビーのブルース」を地で行った様なものであった。

 この時の兄は今から何年か前に定年を迎え、十年ほど前に病気で他界したが、この映画と兄との思い出は切っても切れない思い出となり、その後も兄を思い出すたびにこの映画をもう一度見たい願望は消えることがなくCDを探し続けた。そして、今年の四月に入ってネット・オークションでようやく探し当てたのである。

 すぐさま落札し、商品が届くのを心待ちに待った。ところが届いた現物はCDではなく、ブルーレイ・ビデオデスクの巨大な円盤だったのである。これでは我が家ではどうすることもできず、ほぼ諦めていたころ、ふと思い付いたのは、我が家のカミさんが毎週参加しているカラオケクラブで同様な円盤を使っていることに気が付き、さっそく持ち込んだところ間違なく映ることを確認した。

 次が、これをわが家で映像化する方法について、一時はネットオークションで古い映像機を購入しようと思ったが、カラオケクラブメンバーの一人の婆さんが、宝塚駅前にDVDに変換してくれる店があると教えられ、すぐさま罷り越し、そして、五月の連休明けにようやく長年の念願であった「現金に手を出すな」を手に入れた次第である。今、六十年ぶりに再開し、はて、これをどのように楽しもうかと日々思案中である。(13.06.15仏法僧)